「更新が遅れても、謝ることはないですよ」という優しいコメントをいただきましたが、「締めきり厳守」をモットーに文筆業を続けてきたレイチェルの一番弟子としては、どうにも居心地が悪くて。ゴメンなさいっ。暑さと多忙にやられてました。
師匠・レイチェルはおしゃれです。サングラスでキメてみました。
「想いのすべては瞳で語るのだもの。大事にしないとね」と、師匠。
ここのところ、師匠は元気がありませんでした。いつもは会うたびに尻尾を振って駆け寄ってくれるのに。自室にこもっている日々が続き、弟子は不安な日々を送っておりました。
が、師匠。昨日は私に一目散に駆け寄ってきて、ウルウルな瞳で見上げてくれたのです!
「ああ、やはり、私は師匠の寵愛を受けていたのだ!」と心の底から安堵。師匠、暑さでお疲れだったのですね? と師匠を胸に抱き、ナデナデ。
師匠はジーッと私を見つめます。師匠の瞳に映る自分を見ていると、とっても幸せな気分になります。これぞ、師匠の必殺技。
目は口ほどにものを言う。と言うではありませんか!
言語を操る、ということだけで、地球上の生物の中でもっとも優れた存在である、とおごり高ぶって地球環境を破壊し続けてきた私たち人間。その人間に与えられた罰は、言語に依存しすぎて感性を鈍らせた、ということなのかも知れません。
たとえば。恋をすると、どれだけ相手を想っているかを、なんとか言葉で伝えようとしてしまう。
でもね、語彙が貧困だったり、タイミングを見誤ってしまうと、伝わらないんですよ。想いなんて。言葉にならない、ってことが圧倒的に多いんですよ。文章のプロとして、それは日々、実感しているのです。
百聞は一見にしかず。と言うではありませんか!
なのに、なんでもかんでも説明しなくちゃ気がすまない、私たち人間。でもね、どんなに雄弁に語ってもね、瞳に込められた「想い」にはかないません。
本能的にそのことを知っているから。私たちは嘘を吐くときは、目を逸らしてしまう。
「あなたの想いはあなたの瞳が語っているのよ。だから、私には分かるのよ」
師匠は、一番弟子の心配に気付いてくれていたのですね。だから、師匠は私を見つめる。
物言わぬ、師匠と師匠の仲間のワンコたちのほうが、お互いの想いをちゃんと理解しているように感じて。ああ、人間って。なんて浅はかなのだろう、と思ったのでした。
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