9月も下旬となりましたが、ようやく単衣がふさわしい気温になって参りました。縮緬の単衣は7年ぐらい前にリサイクルショップで購入したものです。が、それでも長襦袢は小千谷縮の夏物でちょうどいい感じです。見た感じが暑苦しくないように、と全体的に白っぽい装いにしてみました。
この日は六本木にある呉服のお店「awai」さん(http://www.awai.jp/)主催のお食事会に行って参りました。「awai」はシンプルだけど、ちょっと個性的で飽きのこないデザインの着物・帯・小物が揃っているお店です。
一般的には、「単衣は6月と9月の着物」と言われていますが、しょっちゅう着物を着る身としてはこの衣替えルールは全然、気候にマッチしていません。よく考えると、関東の場合、「今日は暑いですね」と口にしはじめるのは、5月ごろから10月ぐらいまで。一年のうち半分近くが「暑いと感じる温度」なわけです。
さらに、薄物、単衣、袷という区別というのは、はっきり言ってしまうと「ビジネス」のために作られたものです。南北に長いこのニッポンで、北海道と沖縄が同じ衣替えルールでよいはずがありませんものね。着物そのものは、とっても合理的な衣服だと思うのですが、ルールのほうは今ひとつ、無理やりな感じがするのは、「着た実感」ではなく「売るために」作られたものだからなのでしょう。
「ルール」と言えば、「恋愛のルール」的なものが巷には流布していますが、こちらの「ルール」も「実感とのギャップがあるなあ」と感じる今日この頃。ヒマさえあれば、「ルールと実感とのズレは、なぜ起こるのだ?」の検証に没頭してしまいました。
よく考えると、着物にしろ、恋愛にしろ「日本人はルール好き」な国民と言ってもよいでしょう。「ルールがあるのならば、ルールさえ守っていれば大丈夫」という安心感が得られます。誰にも突っ込まれないし、「私、間違ってないもん!」と堂々とできる。恋愛も着物もルールを遵守していれば、自信を持つことができます。
けれど、それって、「考える力を使わずに行動してしまう」というリスクもはらんでいると思うのです。自分で経験して、実感して、体感して行動することで、得られることもたくさんあります。私も着物に関しては、衣替えにしたがって、一通りそろえましたし、ルールどおりに着ていた時期もあります。それは、「ルールに背く自信と勇気がなかった」からなんだな、と今は分かります。そして、着物暦を重ねるにつれ、「ルールが合ってない」ことを実感し、「ルールに背く自信」も生まれてきました。だから、こうして「9月なったら単衣って言うのは、無理があるよね」と書くことができるのです。
恋愛も然り。「ルールどおり」に恋愛して、たとえうまくいったとしても。それって、楽しいのかな? 幸せなのかな? って思うのです。人の感情をルールに当てはめることって、本当はできないんじゃないのかな? って思うから。
着物も恋も。仕事も人生もすべて。体験して実感した結果、自分が一番、正しいと思えることを選ぶこと。
それが、一番、楽しくて幸せなんじゃないのかな? という結論なのでした。
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