こんにちは、栗原貴子です。
今日は、前回の記事に書きました、
私が人生の扉を開く「マスターキー」の
存在に気が付くに至った経緯を記しますね。
このブログでも時々、私がスピリチュアルな事柄に
興味や関心を持ってきたことを書いています。
探求するきっかけは、あるお仕事で瞑想に入門したことでした。
このことをきっかけに、
興味や関心は「引き寄せの法則」的な
願望実現に向いていったのですが、
これが、ことごとく、うまくいかなかった。
瞬間風速的にガッと「いい感じ?」になったときもあったけれど、
総じて、うまくいかなかったのです。
そうこうしているうちに、
私はうっすらと「引き寄せの法則的なものは
私には合っていないのではないか」と思い始めるようになりました。
でも、
いわゆる「引き寄せの法則」的な指南書やハウツーには
万人にできることですよ! と書いてあったりもする。
規格外の人なんていませんよ、
うまくいかないのは、アナタの中に「どうせかないっこない」という
疑いがあるからよ、みたいなことも書いてあった。
そんなとき、
冨永のむ子さん(http://www.jibunnoshinwa.com/)の
ことを知り、無料の10日間のメール講座を経て、
のむ子さんの瞑想会に足を運んだのが昨年の11月のこと。
のむ子さんは「天から与えられた使命を生きる」ことを教えている方で、
詳しくは上記サイトやご本人のブログなどをご覧いただきたいのですが。
引き寄せの法則の副作用に苦しみながら、
「私は普通にしていたほうがいいんじゃないか」という
疑惑を確信に変えてくれたのでした。
迷走しながら参加した11月の瞑想会の後、
あちこちからお仕事をいただき、
フリーランスになってから、
いまだかつてこんなに多忙だったことはありません!
という大繁盛ぶりが2か月ほど続きました。
私にとって「文章を書く仕事」は
天から与えられた「使命」に必要なことなんだ、と実感すると同時に。
週に2~3本、締め切りがあっても
書くことが好きで、書いているとき私は楽しい、
という事実は変わらないのだと気づきました。
この大繁盛状態が落ち着いた2月の下旬に
のむ子さんの単発の講座に参加しました。
そして、
「やりたいように、やります!」という結論に至ったわけです。
私が「文章を書く仕事がしたい!」と思ったのには、
もともと、作文得意だし、というのもあったけれど、
「女性が生きる上で役にたつことを書いていきたい」という気持ちからでした。
そんな風に思ったのは
今から20年近く前のことですが、
当時から、私はうっすらと「女性の生きにくさ」みたいなことを
感じていたのだと思います。
その「生きにくさ」とは、
- 社会的環境によるもの
- 就職、結婚、妊娠・出産という多様なライフイベント
- 女性ならではの身体的、精神的なこと
によるもので、これらが複合的に重なり合うことで
なんだか、自分の人生がややこしくなりそうな予感を
抱いていたのでしょう。
その予感、見事的中!
あれから20年近くが経ち、
性別や年齢に関係なく、誰もが大なり小なり「生きにくさ」を
覚える時代となっています。
その上で、ジェンダーの問題が横たわっているのが
ニッポンの現状だと思うのです。
そんな中で、今、女性がシアワセに生きるためには、
人生の扉を開く「マスターキー」をすでに持っていることに気づき、
新しい「鍵」を手に入れようと頑張ることが
「ちょっと違うのかも?」という視点から、
見つめなおすことが不可欠です。
これまで私たちが
学歴、資格、仕事、恋愛、結婚、子ども、家庭といった新しい「鍵」を持つために、
努力を重ねて、頑張って「鍵」を手にさえすれば、
自動的に次々とシアワセへの扉を開くことができるようになる……。
「そういうものだ」とかたくなに信じてきた事が
すでに機能しない社会に、時代になっているという前提に立って、
試しに、もう一度、見渡してみてください。
コップの水がまだ半分ある、と感じるか。
もう、半分しかない、と感じるか。
それによって、心のあり方が変わるように、
今、ご自分が置かれている状況に対する感じ方が
きっと、変わることでしょう。
さて、
ここからは、私の個人的なストーリーです。
私は、スピリチュアルなことに興味、関心を深く持っているし、
「サムシング グレート」「神」「大いなる存在」「宇宙」といった
言葉で表現される、人知を超えた「何か」の存在を信じています。
そして、
この世で起こるすべての出来事には意味があり、
どんな出来事であっても、未来に向けて、今、何ができるのかを
考えること、それがいちばん大切なのだと思っています。
私がそう思ったのは。
もう信じるしかない、
そう信じるより他にない、と
5歳くらいの頃に思ったからです。
私には妹と弟がおり、
妹とは2学年、弟とは4学年離れています。
末っ子の弟は知的障害を持って生まれました。
知的障害がある、ということを医師から明確に告げられたのは、
たぶん、弟が1歳になったばかりの頃だったと思います。
ちょっと成長が遅いような気がする。
上の2人の子とは何かがちょっと違う気がする。
そんな違和感を両親は抱いていたのかもしれません。
事実として告げられた時、私は5歳でした。
治らない病気のようなものだ、と母から告げられた時のことは
今でもよく覚えていますが、
『大変なことになったけど、しょうがないな』
と思ったことも、覚えています。
あの当時、運命、なんて言葉は知らなかったけれど、
きっと何か意味があって、弟は
知的障害を持って生まれたのだろう、という風に
受け止めたのです。
そんなことを幼少時から感じて生きてきたので、
私は、
少し、冷たい人、
という印象を与えてしまうことがあります。
人の痛みや悲しみに、
寄り添うことができない人のように
感じさせてしまうことがあります。
なので、私の書いた文章に
血も涙もない、と感じる方がいらっしゃるかもしれない……。
そう思って、今回、弟のことを書きました。
それもまた、私の「マスターキー」の元に
なっていることでもあるから。
今日も、読んでくださり、ありがとうございました。
ちなみに、弟はいたって健康体です。
養護高等学校を卒業後、勤めた会社で働き続けています。
本当に、ありがたいことだと思っています。