こんにちは。栗原貴子です。
この前の記事から、けっこうご無沙汰してしまいました。
あわわわわ~~と、目の前のことをやるっきゃない日々が
落ち着きを取り戻した先週末、
高校1年生のときのクラス会に行ってきました!!
神奈川県立氷取沢高校 5期生の104だった方。
私とクラスメイトだったあなた!
今回のクラス会のことなんか、聞いてないよっ!って
思っていらっしゃるかもしれませんが、
幹事さんたちが必死に探したのです。
連絡がついていない方がまだ、20名ぐらいいるそうです。
該当する方、いらっしゃいましたら
ブログ経由で私にメールをくださいね。
かくいう私も幹事さんにブログ経由で連絡をいただき、
今回、参加できた次第です。
さて、当日は
担任の先生と当時の英語の先生もいらして、
20数名の元生徒が集まりました。
同じ教室で過ごしたあのころから
28年もの歳月がたっていて、
クチでは「久しぶり~~」っていうものの
いきなりスッと会話ができちゃう、なんだろうこの感じ。
なつかしい、というよりも
まるで、
「また、明日!」と別れた翌日に「おはよう」と教室で顔を合わせた
朝のホームルームの前、みたいな再会でした。
時が流れたことの証は、私たちの体に刻まれているのだけどね。
じつは、このときのクラスには、三学期の終わりに
忘れられない”思い出”がありまして……。
私たちの10年後輩に向井理さまがいるという
ちょっとした自慢話など
あっさりと吹き飛ぶぐらいのインパクトのある出来事なのですが、
それはクラスのみんなの「仲が良かった」ことの証でもあって。
担任の先生も、当時は「大人」だと思っていましたが、
「あのころ、20代半ばだった」そうで、
しかも「初めての担任を持ったクラス」だったそうで、
それであんな出来事を起こしてしまい、
申し訳なかったです……。
と今、20代半ばの部下を持つクラスメイト達は猛省。
しかも、
誉れ高いとは言えない「伝説」を残した私たち以降の
後輩たちと先生方の頑張りにより、
母校はすっかり偏差値がアップしており、
「今だったら私たち、合格できなかったね」
というレベルになっているそうです。
横浜スタジアム近くで開催されたクラス会から
都内に帰る、という人はごくわずか。
「横浜の人は横浜から離れない」という法則が
ここでも明らかに。
新幹線、飛行機を利用して駆けつけ、
参加した人もいる一方で、
「オレ、近く」という人の率も高く、
「この横浜にまさるあらめや」という歌詞の
横浜市歌を作った、森鴎外先生もさぞ、お喜びでしょう。
東京、といっても神奈川県寄り、千葉県寄りとあり、
千葉寄りの友達は終電が早く、
「だったら、うちに泊まればいいじゃん」と
神奈川寄りの私の提案により、急きょ、お泊りに。
いかんせん、心が女子高生になっているので
結局、朝までガールズトークをして
「昼には起きようね」と就寝したのでした。
高校1年の1年間が、いかに濃密な時間だったのか。
年齢を重ねた今、再会したからこそ、
気付くことができたのだと思います。
「楽しかった」
という言葉では表現しつくせないほどに。
幸せな時間を過ごすことができました。
また会う日まで!