こんにちは。栗原貴子です。
人生の扉を開く「マスターキー」は誰もが持っています。
けれど、
自分が必要だ、と思って
これまでの人生で手に入れてきたいろいろな「鍵」と一緒に、
「マスターキー」も
キーホルダーにつけられている状態になっていて、
「どれがマスターキーなのか」が、分からなくなっているのです。
このキーホルダーには、今現在、よく使う「鍵」もあれば、
「はて、これはなんの鍵だっけ?」と使える場所も
何のために持っていたのかも分からない「鍵」も一緒についています。
あるいは、
どの扉を開ける「鍵」かはちゃんと分かっているけれど、
「ずっと使ったことないな」
という場合もあります。
悩み事があるとき、
人生を「シアワセだ」と感じられないとき。
私たちはその状態から抜け出す方法を考え始めます。
手持ちの「鍵」を眺めて、
「これらを組み合わせることで、新たな扉を開けるのではないか」と想像します。
もしくは、
「新しい鍵を手に入れることができたら、状況を変えることができるのに」と期待します。
そうやって、いろんな「鍵」を増やしてきたけれど、
ちっとも状況が変わらない、と途方に暮れているとき、
私たちは知らず知らずのうちに、自分本位になっていて、
「なんで、こんな目に遭わなくてはいけないのだろう」
「どこで、何を間違ってしまったのだろう」
「あのとき、ああしていれば……」
と、ズッシリと重みを増したキーホルダーを眺めながら
思考をグルグルと巡らせ、自己憐憫にひたるようになります。
悲しくて、寂しくて、不安でたまりません。
そして、
持っている「鍵」では、開きたい扉を開けることができないのなら、
自分が開きたいと願っている扉を開けることができる
新しい「鍵」を手に入れようと、躍起になります。
でも、本当はどんな扉でも開けることができる「マスターキー」が
キーホルダーの鍵束のなかに、紛れ込んでいるのです。
生まれてから、いわゆる「スキル」「スペック」と呼ばれるモノを
身に着けようとし始める年齢くらいまで、
マスターキーだけで、私たちは生きてきました。
けれど、「鍵として有効」とされているモノを
意図的に、あるいは運命的な必然の流れで
手にした「鍵」を使って、
人生の扉を開けるようになると、
マスターキーの存在のことを忘れてしまいます。
新しい鍵が増えれば増えるほど、
「マスターキー」の存在感は薄れていきます。
でも、そもそも手にした「鍵」は
「マスターキー」の存在があったからこそ、
手に入れることができたモノでもあるのです。
観念的な話ばかりで分かりにくいので、
私自身のお話をしますと……。
フリーランスのライターとして私がこうして生活していられるのは、
文章を書くことが得意であり、好きだということが出発点でした。
私は文字を覚える努力をした記憶もなく、
幼稚園の頃には、平仮名やカタカナを読むことができ、
書くことができました。
たぶん、4歳くらいだったと思います。
学習することもなく、自然にそれらができたのは、
絵本を読んでもらうことが楽しみで、
自分でも読めるようになれたら、
読み放題だ、という思いがあったのだろうなと想像しています。
小学生になると「作文」が楽しくて仕方なかったのですが、
この頃から「読み手にうける文章」を書くことを
意識しはじめていました。
コンクールに入選した作文に「大人たちが泣いた」と聞けば、
心の中でガッツポーズ、というような
いやらしさも、すでに身に着けていたのです。
私のマスターキーは「文章を書く」ことであり、
しかも、「読み手にうける文章」を
感覚的に身に着けることができたという「特技」。
なので、
じつは。
文法的なこと、技巧的なことはさっぱり分かりません。
助詞が、副詞が、ということも分かりませんし、
文学史にも疎く、
ゆえに、人に文章を上手に書く方法を教えることができません。
「マスターキー」を使って「物書き」となってから
私は、いくつかの「鍵」を手に入れました。
雑誌でのお仕事、広告でのお仕事、書籍のブックライターなどなど。
趣味だった着物のコラムを書いたり、
トークイベントに出演するという「鍵」も
手に入れました。
あるとき、
キーホルダーはどんどん充実していくのに、
漠然とした「不安」を抱えたり、
満たされない感覚を自覚するようになっていました。
そんな状況から抜け出そうと、
手持ちの「鍵」を駆使して、
新しい扉を開ける、新たな鍵を手に入れようと試みましたが、
いずれもうまくいきませんでした。
疲れ果てて、絶望して。
もう、すでに持っている「鍵」にすがるのはやめよう、と思いました。
新しい「鍵」を手に入れようと、躍起になることも。
過去、手に入れた「鍵」は永遠に使える保証はどこにもない。
例えば、
昔「ワープロ検定」ってあって、当時は最先端であり、
「OLの必需品」みたいな言われ方をしていたけれど、
今、「ワープロ検定」そのものを
「知らない人」も多いという時代になっています。
私のキーホルダーの中にも、
時代の流れと共に、
もはや機能しないものが混じっているかも知れない。
ジャラジャラと「鍵」が連なったキーホルダーを持つのも、重たい。
「文章を書くことができるし、とても好きだ」という
そもそもの原点に戻ろう、そう思ったとき
誰もが「マスターキー」を持っている、ということに気が付いたのです。
「マスターキー」であれば、
キーホルダーに今、つけている「鍵」を全部、捨ててしまっても、
すべての扉を開けることができるわけです。
それどころか、
まだ、「鍵」を持っていない扉も「開ける」ことができる。
まずは、どれが「マスターキー」なのかを探し出すこと。
そして、キーホルダーを1本に絞って、
身軽になることから始めよう。
私の「マスターキー」を探していく過程で、
みつけた答え。
それが、
「やりたいように、やります!」なのですが、
この思いに至ったプロセスについては、
長くなるので
また、別の機会に記しますね。
「マスターキー」1本に絞ったことで、
身軽になりました。
新しい「鍵」を手に入れなくては! という焦燥感が薄れ、
「こうして今、元気にやっているのだから、ま、いいか」
という思いになりました。
もしも、今、つらくて仕方ないというのなら。
何かを手に入れなくては! と焦燥感を覚えているのなら。
どんな扉でも開くことができる
「マスターキー」を持っていることを、思い出してみてくださいね。
本日も、読んでくださりありがとうございました♪