こんにちは。栗原貴子です。
昨日、千鳥ヶ淵の桜を観に行ってきました。
「皇居の桜を観に行かない?」と
母に誘われていってきたのですが、
母はボートに乗りたいといい、
しかし、手漕ぎボートは体力勝負の乗り物であって。
ええ、私が久々にオールを握りましたよ。
の写真はボートから撮った1枚です。
井の頭公園、沖縄でのシーカヤック、高千穂峡と
いろいろなところでオールやパドルを握りしめては、
「どうして、そんなに上手なの?」と
驚かれて「前世が海賊なんですよ」と
言ってきた私ですが……。
昨日は水面の風速7メートルという
「風が強い」日だったらしく、それゆえ
私たちが出港した直後に、ボートは中止に。
そして、その風がお堀に流れをつくり、
ボートが流されるため、
かなり必死で漕がないといけないということを。
初めて知りました……。
「左が弱い! 左、左!」と
鬼コーチのごとく叫ぶ母。
「いや、お母さん、流れがあって偏るんだよ」と
言っているそばから、他のボートと衝突。
一度、衝突するとそこから抜け出すのは至難の業で、
衝突相手の腕前がよければまだしも、
漕ぎ手が正面を向いて漕いでいるという、
車で言えば、
ずーっとバック走行しているような前後が反対の人もいたりして。
(ちなみに、カヌーやカヤックは進行方向を向いて漕ぎますが、
ボートは進行方向に背を向けて漕ぎます)
今日は筋肉痛です。
まっすぐボートを漕げ!と「左、右!」を連呼する母。
「いや、少しは流れに乗っていったほうが楽だし、早く進むから」
と汗びっしょりになっている私。
道路じゃあるまいし、中央分離帯とかないし、まっすぐって関係ないし。
だいいち、周囲の人たちもてんやわんやで、
他の人たちもみんな漕いでいるから水の流れが複雑なのですよ。
周囲を見回せば、
私より若いであろう、おデート中のカップルの彼氏すら、
必死になって漕いでいるわけです。
私よりも若く、女性よりも筋力がある男子であるという点に加え、
彼女によいところを見せたいだろうからして、
彼のモチベーションは最高潮であることでしょう。
私はあのボートの彼氏と
同じだけのモチベーションなど、
どう頑張ってもわいてきませんよ、母上。
と、いうような出来事があって。
人生の扉を開く「マスターキー」を持っていることを忘れて、
「必要な鍵を手に入れなくては!」と躍起になってしまうのには。
「曲がってる! 右が強い!」と
突然、『エースをねらえ!』の
宗像コーチが憑依したかのごとく、
指令を飛ばす親の影響が大きいものだと、
シミジミ実感したのでした。
別に娘はボートの選手でもなんでもないわけで、
ここで上手に漕ぐ必要もない。
「うちの娘、ボート上手でしょう?」と
自慢したかったわけでもない(と思う)。
ただ、母が「まっすぐ漕いでほしかった」だけ。
でも、まっすぐ漕ごうとしても、
風の影響による水の流れは案外、早くて強かった。
水面からのアングルで桜を愛でて、
転覆せずに無事に岸に戻る、という目的のためには
そんなに必死に漕ぐ必要もないわけです。
でも、母親にあれこれ言われると
子供と言うのは、どういうわけか
リクエストに応えようとしてしまうもの。
とはいえ、流れに逆らって漕ごうとすれば、
必要以上の力を要するし、くたびれもする。
人生も同じじゃないかな、って思うのです。
何かを頑張って、くたびれてしまったのは、
「まっすぐ漕ぐべし」というような、
一瞬、ちゃんとした理由っぽく聞こえるけど、
よくよく考えると根拠が希薄なことをやろうとして、
流れに逆らっているから。
ちょっと力を緩めて、流れの力を借りて、
オールを握って方向を定めたり、
流れに乗って漕いで行けば、
目的地にはあっさり到着できちゃったりもする。
ボートを返す時間が迫ってくると、
「早く! 早く!」と母は焦りだし、
最短距離を行けと促しました。
しかし、
もう、疲労困憊だった私は
「方向は合っているのだから、近くまで行ったら
船着き場に寄せるから大丈夫だ」と逆らいました。
結果的に、間に合いました。
流れに乗って漕いだから。
ちなみに、この船上での試練によって
筋肉痛になるのと同時に、
肩甲骨回りのコリが解消されました。
一緒に乗る相手を間違えなければ、
30分800円で、よいリフレッシュになりますよ。