この週末に、シータヒーリングのプラクティショナーの応用DNAコースを修了しました。
シータヒーリングって何?は、こちらをご参照くださいませ。
ちょっと長いですけど、私とシータヒーリングの馴れ初めについてお話しますね。
私とスピリチュアルとの関係は、2009年頃から始まりました。仕事を通じて、瞑想をマスターする機会を得たり、沖縄のユタの方をインタビューしたり。そういう機会に恵まれる度に、新たな発見があり、嬉しい出来事がたくさん起きたりしました。
けれど、その一方で、心身の不調に見舞われることが重なりました。スピリチュアルに関係したテーマに触れるのは楽しいのだけれど、習得した瞑想を実践してみても、なんか、体調が優れないのです。
メンタルの問題と言ってしまえばそうなのかも知れないけれど、いまいちピンとこない。そんなことが、だいぶ、長い間、続きました。
仕事の面でも、いい線行ってるんだけど、あともうちょっと、というところで、とどまっている感じ。
漠然とではあるけれど、何かがうまくかみ合っていない感じがずっとしていました。
その「かみ合っていない感じ」が、大きなトラブルに発展し、2011年の暮れから初夏にかけて、かなりの打撃を受けました。
そんこんなで過ごしていた、2013年8月、出会ったのがシータヒーリングでした。
このとき、私はクライアントとしてセッションを受けました。
このセッションで、私はずっとずっと、潜在意識の中に閉じ込めていた感情を知りました。
その頃、書店で母親との関係によって、心に、生き方にひずみが生じてしまうという内容の本をよく、見かけていました。その中の『母という病』という本を読んだけれど、どこか人ごとだと感じていました。
なぜなら、私は今、普通に暮らしているし、若いころも目立った非行や犯行もなかったし、学校にもちゃんと通っていたから。
コレといって問題のある人生を歩んでこなかった私に、これは、あてはまらないと思ったのでした。
けれど、シータヒーリングを受けて、私が口にしたのは母とのゆがんだ関係が苦しい、という事実でした。
その思いを吐露し、自覚したことで、私の抱えていた仕事上の問題が解決しました。
2012年の夏から、私は楽しく、充実した仕事ができるようになったのです。
母との関係を見つめ直したら、愛情全般に関する問題も浮上してきました。
それからしばらくして、木枯らしが吹く頃にニ度目のセッションを受け、年が明けてから三度目のセッションを受けました。
三度目のセッションで私は、シータヒーリングのプラクティショナーコースを受講することを決めました。
そして、2月に基礎を、そしてこの週末に応用のコースを修了したのです!
と、前ふりが長くなりましたが……。
応用DNAを終了した今、もうね、身も心もスッキリ!
これまで「なぜ、もっと上手に生きられないのだろう?」と感じていた「なぜ?」を知ることができたのが大きいのかも知れません。
そして、スッキリしたところで、ブログを書いている次第でございます!
さて、「母親とのゆがんだ関係」が自分の人生に大きな影響を及ぼしている人は、少なくないと思います。
そして、書物にあるような、非行や素行不良や、うつ病、摂食障害といったはっきりとした形で、母との関係の「結果」が現れる人がいる一方で、私のような「ぱっと見た感じではなんの問題もない人」がいるのも事実です。
はっきりとした形となって現れていない場合、見逃しがちだし、書物を読んでもいまいち自分のことのようには感じられないもの。
なので、私自身の話をここで書いていきたいな、と思ったのでした。
実は、私にとっての「着物」も、母との関係を象徴するツールのひとつでした。着物を着ること、着て活動することは、私の母との関係にあるひずみを刺激する出来事だったのですね。
これからは、そんなことをぽつり、ぽつりと書いていきます。