こんにちは。栗原貴子です。
数年前、コンビニの前で
「彼氏の過去を気にしてもしょうがないじゃん」
と女子高生が電話で話しているシーンに遭遇しました。
お嬢さん、その通りだよね、と思いつつ。
彼女の「過去」と私の「過去」の概念には、
総量だけでも大きな違いがあるなあ、とシミジミしたものです。
年齢を重ねれば「過去」に流れた時間は多くなるので、
気になる「過去」もおのずと増えていくことになります。
その中には当然、
「痛い目に遭った」というような苦い体験も含まれています。
こうした、
「過去」に起こった出来事によってこしらえた「傷」や「怒り」を
そのまま、ずーっと繰り越してしているのに、
自分では「水に流した」「乗り越えた」「克服した」と
思っていることって、案外、多いものです。
その「過去」のエピソードに触れたとたん、
語気が荒くなったり、早口になったり。
なんの脈略もなく、過去の話をし始めて止まらなくなるとか。
気が付くと「過去」を引っ張り出してしまうとか。
そんな経験は、誰もが身に覚えのあることだと思います。
もちろん、どんな傷なのか、怒りなのか、
程度の違いもある。
でも、もしも
「別れた恋人や配偶者」
「以前、勤めていた会社の人のこと」
といった、現在、ご縁が続いていないことを
「今」にも繰り越しているのなら。
「人生の扉を開くマスターキー」を見つけることはできません。
そうしたネガティブな過去も「鍵」として
キーホルダーにぶら下げ続けているのと同じだから。
先日、「経歴がまったくの偽りだった」ことが発覚して
世間を騒がせた有名人がいらっしゃいましたが、
彼のことを話題にあげる人が多いことに、驚きました。
経歴を偽ってしまったのは、人生の扉を開くためには「鍵」を
たくさん持つことが必要だ! という思いに端を発していると思うのです。
そして、持っていない「鍵」を持っていると偽った結果、
人生の扉が開いてしまったので、引っ込みがつかなくなったのでしょう。
多くの人が彼のことを話題にしたのは、
「素晴らしい鍵を持つこと」が成功を導くと信じているけれど、
あいにく、自分はその「鍵」を持っていないという、
コンプレックスを刺激された人が多かったからではないか? と想像しています。
「鍵を持つこと」を重んじて生きている人ほど、
他人の「鍵」を気にします。
「たいした鍵を持ってない」とコンプレックスに感じている人も、然り。
使っていない鍵は捨てるのか、持っておくのかは別として、
とりあえず、速やかにキーホルダーから外して、
「今」使っているものだけに絞った方が良いのだけど。
それが、なかなかできないのは。
「鍵がジャラジャラくっついていたほうが、
カッコよく見えるような気がする」という
イメージがあるから、だと思います。
過去にやったこと、
傷ついたこと、怒りを覚えたこと。
楽しかったこと、輝かしい出来事。
ネガティブなものでも、
ポジティブなものでも、
それが現在進行形で「今」に関係していないのであれば、
もう、自分には必要のない「鍵」です。
そもそも、マスターキーが1本あれば、
どんな扉だって開くことができるのですから。
「栄光」と呼ばれるようなポジティブな「過去」の場合、
それは「過去の栄光にすがっている」とマイナスな印象になってしまうし。
傷ついたり、怒りを覚えたりしたネガティブな「過去」の場合は、
前に進もうとする歩みや、新しい扉を開くことの妨げになります。
「前の恋人」のことをいつまでもネチネチと恨み節で振り返る人の、
新しい恋人になりたいと思う人はいませんものね。
「今」身近にあること。
「今」手にしていること。
「今」ご縁がある人たち。
「今」この瞬間にだけ、意識を向けることができるようになること。
それが人生の扉を開く「マスターキー」を見つけるために
クリアしておきたい7つのことの、二つ目です。
こちらは、3月上旬に行った沖縄で撮った1枚です。
ヤマユリは花を咲かせるために、
茎と葉がこのように開いて上へと伸びていくのだそう。
水滴は直前まで降っていた雨のしずく。
雲が晴れて太陽がかすかに顔をのぞかせた瞬間でした。
自然の営みの恩恵を受けながら、
力強く、未来に向かっていこうとする
生命力を感じます。
今日も読んでくださってありがとうございました!