着物への興味を持ちながらも、「自分で着て外出する」ところまで至ってない…。
そんな方々とお話するたびに、気になっていたこと。
「着物、着られないんですよ~」とおっしゃるときのニュアンスです。
『いやあ。私、日本人のくせに、民族衣装も自分で着られないんですよ』
というような、「後ろめたいですね」的なニュアンスが、
言葉の端々や表情に含まれているのです。
他人ができて、自分はできないことは、たくさんあります。
英語がしゃべれないとか。
車の運転ができないとか。
パソコンが苦手で、いまだにブログの写真のアップにもたついている、とか。
でも、誰に対しても後ろめたさはあまり、感じません。
なのに、こと着物の話だと、急に『後ろめたい』気分になるようです。
その『後ろめたい感じ』は三十路を意識し始めたころから強まるようで、
「着付けができないので……」と言いながら
『すいません』というお顔をされるのです。
そういうことがあるたびに、
「着物って日本人のアイデンティティーの象徴なんだな」と感じます。
だから、
「着られない」ということに対して、後ろめたい気持ちになってしまうのだと。
確かに。
自分で着られるようになって、着物以前の私と着物以後の私とでは、
アイデンティティーのあり方に変化がありました。
ひと言でいうと「自信が持てるようになった」のです。
その自信は、
パーソナルな「女としての自信」から、
ちょっと世界を広げて「職業人としての自信」
そして、他の国の人に着物のことを聞かれるたびに
「日本人としての自信」に育ってゆきました。
だけど、「着られない」というだけで、後ろめたい気持ちになってしまう、
そんな現状は正しくない、と思います。
だって、「着られない」のは個人の責任だけではないのですから。
着物を着なくてもOKなライフスタイルにしてしまった、
この国に影響されたことなのですから。
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