新年 あけまして おめでとうございます!
今年は昨年よりもブログ更新を頑張りたいと思います。
なにとぞ、よろしくお願い申し上げます!
「お正月はどうでしたか?」というフレーズは、仕事始めから1週間ぐらいの間に、よく交わされる言葉です。そして、決まって返されるのは「いや~。寝正月でしたよ」という言葉です。ワタクシの社会人経験から言うと、ほとんどの人が寝正月と答えます。お正月、ということで着物を着たりしていたわけで、特にグーグー寝てばかりいたわけではありませんが、私も「寝正月でしたよ」と答えるのでしょう。
山田さん「お正月はどうでしたか?」
わたし 「いや~。寝正月でしたよ」
これが、社会人としての模範解答のようです。返答には「実家に帰って寝正月でした」という応用バージョンもあり、この場合、山田さんは「ご実家はどちらですか?」という質問をします。私はお正月に旅行に行ったことがないのですが、もしも、ハワイなんぞに出かけていたらどう答えるのがいいのでしょうか?
山田さん「お正月はどうでしたか?」
わたし 「ちょっとハワイに……」
というのも、なんかイヤらしい感じがするし…。と、「お正月に海外に行った場合の仕事始めの日の会話の模範解答例」を考えたりして、お正月を過ごしたワタクシです。
そして、「新旧 任天堂」で遊びました。
「新」のほうは、みなさまご存知の「Wii」です。大人ばかりの家族なのに、ボウリングなどで盛り上がりました。現実のボウリングでは絶対に出すことができないスコア(194!)が出たりするので思わずハマってしまうのですね…。
「旧」は花札です。任天堂といえば、我が家は昔から花札でした。小学生ぐらいの頃から、父親からもらうお年玉は大晦日に行われる、「家族花札」の結果によって支給されていた、というギャンブラー養成学校のような我が家でした。ちなみに、賭けられていたのは「1歳500円のお年玉」という権利です。10歳ならば、500円×10で5000円になり、当時の10歳にしては破格のお年玉を手にできたわけです。マジにならないはずがありません。
両親とワタクシとで対戦した結果…。「松桐坊主」と「猪鹿蝶」の奇跡によって、ワタクシの大勝となりました。両親の年齢を考えると「1歳500円ルール」は財布への打撃も大きいので「勝利を収めた」という名誉のみの対戦だったのですが。
子どもの頃に「マジに花札をやった」おかげで、私は今も花札が強いです。脳裏にヴィジュアル化した札を思い浮かべながら、『まだ出ていない札』、『対戦相手のリーチ具合』を考えることができます。イチローの父が息子に野球を、宮里藍ちゃんの父が娘にゴルフを仕込んだように、私は父に花札を仕込まれたのです。子どもは親を選べない、という切なさを物語るエピソードですね。
そして、1月4日は愛犬・風太のお誕生日でした。風太は5歳になりました。
風太は2歳半で私のコになった、いわゆる里子のワンコです。だから、私と誕生日を迎えるのはこれで3度目になります。そして、風太は私の妹と誕生日が同じでもあるのです。
人間用のケーキですが、メッセージプレートに風太の名前も入れてもらいました。1年は365日もあるのに、よりによって妹と同じ日に生まれたワンコが私の元に来るなんて。運命を感じます。
そして、この日の夜は「の水の会」を開催しました!
「の水」とは、ワタクシが住む経堂にある和食のお店です。超絶品なのですが、昨年、湘南遠足に連れて行ってくれたメンバーとの感謝を込めてのお食事会となりました。これが、超絶品の和牛です。
このお肉の姿、なんど見てもウットリします。本当に美味しいのです。美味に酔いしれた後、飲みに行きました。久々に飲みに行ったのですごく楽しかったです。話題は恋愛のこと、仕事のことなど…。
若いって、素晴らしい! けれど、若さゆえの辛さがあるのですね。
私自身は、年を重ねたことで精神的にはずいぶん、ラクになったのだと思います。若い頃は、ダイレクトにストレス、悩みとしてがっぷりと組み合っていた事柄も、今の私にとってはたいていが「経験したこと」であり、「やり過ごし方」を身に付けていることばかりなんですね。もちろん、新たな問題や壁にも遭遇するけれど、20代のときの「辛さ」って、今振り返っても、かなり苦しかったなあ、って思うのです。
例えば、女性にとって仕事、結婚、そして出産・育児を並行させることは、大変、難しいことです。でも、世の中にはやっている人もいる。『ならば、私も頑張れるはず』と思うし、「仕事」、「結婚」、「子ども」が揃っていてこそ、女としての人生、パーフェクトなもの、という思い込みをしてしまう。
けれど、仕事は自分の頑張りでなんとかできるけれど、結婚と出産は「相手がいないとできないこと」です。だから思うとおりにはことは運ばない。すると、妙な焦燥感に襲われてしまう。あの辛さは、女としての「人格」を左右するほどの「辛さ」だと思います。
その時期を過ぎて、肉体的には衰えたけれど、気持ちが楽になりました。いわゆる”パーフェクト”な人生を送っている女性なんて、数えるほどしかいない、という現実も知りました。いわゆる”パーフェクト”に見える女性であっても、実際にはかなりの苦労や大変さを抱えているということも知りました。
だから、思うのです。
私は私。私らしくしか生きられないのだなあ、と。
みなさんにとって、今年は去年よりも、楽しいこと、嬉しいことがたくさんありますように!