先週、岐阜へ行ってまいりました。メインの目的は出張ですが、この機会に3年前に里子として私のところへやってきた、愛犬・風太の”実家”(前の飼い主さんではなく、里親を探していた方のことを”実家”と呼んでいるのです)へおじゃまして、かつて、岐阜で風太がお世話になっていた人に再会してきました。
豊かな自然が、すぐそこにあることに感激し、「川だ!」「山だ!」といちいち大騒ぎ。『コンクリートジャングルで暮らすことに、どれだけくたびれてるんだよ、私っ』と自分に突っ込み。自宅近くで鳴いているのと同じ蝉が大合唱していたのですが、それすらも「心地よい季節の風物詩」に思えてしまう、自然マジック。騒音扱いされている都会の蝉はお気の毒です…。
仔犬時代の風太のことをいろいろお聞きして、そして、私のところに風太がやってきたことが、奇跡のような縁だったことをあらためて実感し、「人も、犬も人生、どうなるかなんて、分からないものなのだなあ」とつくづく思いました。
風太の実家と私は、正真正銘の赤の他人で、友人・知人をどれだけ仲介しても知り合うことのない者同士だったのです。それが、小さな偶然と幸運が重なって、「犬をもらってもらえませんか?」という電話が、私の実家に届いたのです。
一人暮らしをしていた私は、そんな電話のことなど知る由もなく。唐突に実家に電話をかけ、「お母さん? 私、昨日、パグの夢なんか見ちゃってさあ」と夢の内容を発表。三十路を過ぎた娘がいちいち母親に夢の報告など普段はしません。なのに、どういうわけか、このときは、『昨夜の夢を是非とも報告したい』と思ったのです。そうしたら、「昨日、パグをもらって欲しいって電話があったんだよ。うちではお断りしたんだけど」と母。次の瞬間、私の口は勝手に「その子、行くところがないのなら、私が飼うよ」と喋っている一方で、脳内では『あれ? 私、なんてこと言ってるんだろう?』と思っていたのでした…。
もしも、あのとき、私が夢をみていなかったら…。風太は違う生き方をすることになったのでしょうし、私の人生も変わっていたことでしょう。そして、風太を介したこの「ご縁」から、また新たな”こと”が動き始める予感が…。
帰りの新幹線で『縁って、本当に不思議だなあ』とシミジミしようと思っていたのに。乗車して、着席した途端に爆睡。気がつくと、新横浜。時間の感覚を失っていたので、『あれ? えっ?なんで?』と軽くパニくりながら、瞬間移動気分を味わったのでした。