齢6歳にして、風太、「お手」をマスターしました。これまで、何度か教えていたものの、まったく覚えなかったのですが…。昨日、オヤツ欲しさに自発的に「お手」をしたのです。
「もしかして、できるようになるかも?」という期待をしつつ、何度か試してみると100%の確率で「お手」ができるように。
嬉しくて激写したところ、自分の指が写り込んでしまいました。
6歳とはいえ、まだまだ新しいことを覚えられるんだなぁ、と感心したのでした。犬だって大人になってもこうやって成長してゆくのだから、人間も成長しようという向上心を忘れてはいけないといけないな、と思ったのでした。
風太は「お手」ができるようになったことで、これから先、「オヤツをもらえるチャンスが広がる」、「誉められる機会が増える」ことになるでしょう。何かを習得することで、チャンスが広がり、評価されるのは、人間にも言えることです。
私自身、着物を自分で着られるようになって、いろいろなチャンスが広がりました。
けれど、人間には「いったん、覚えてしまうと『覚えたこと』に慢心してしまう」という悪い側面もあります。着付けの場合、この慢心によって着付け方法がどんどん我流になってゆき、「着付けはできるけれど、美しい着物姿とは言えない」状態に陥ってしまう時期があります。
このとき、「おかしい」と反省し、着付けの本などで「我流に傾いているところ」を確認できればいいのですが…。それをしないまま、どんどん、着付けがグズグズになってゆく人も少なくありません。
よく、「昔の人の着付けはグズグズだった」と言います。着物が日常着だった頃の写真などを見ると、確かにグズグズ。でも、だからといって21世紀の「着物」の着付けがグズグズでよいとは限りません。洋服の時代の変遷を振り返ると80年代の服装は「なかったことにしたい」ぐらい笑えます。あの当時はOKだったとしても、今じゃ許されないセンスです。
「昔の人の着付けはグズグズ」も80年代ファッションと同じだと思うのです。
あの頃は、それでよかった。
でも、今は許されない。
昔の人の着付けがグズグズだった原因のひとつは、「帯板がなかった」ことなのですが、帯板が常識になった今、「改善されて当たり前」です。
21世紀の着物姿は、昔の人よりも美しくなければならないと思うのです。
犬だって向上心を忘れないんですもの。