引越しの日が近づき、ちょっとおセンチになっている今日この頃です。
この街では、友人・知人がたくさんできました。それは、犬つながりで得たご縁ばかりです。
適度な距離感を保ちながらも、ときにいろいろな人生相談をしたり、されたり。「困った時はなんでも言ってね」、「急にふうちゃんをどうしよう!?ってときがあったら、いつでも預かるよ」と言ってもらったり。実際、私が仕事で長時間、留守にするとき、風太の食事の世話をお願いしたこともありました。
遠くの親戚より、近くの他人。まさに、そんな関係を持たせてもらえた街でした。
この街から離れるのは、「心機一転」という意味があることは頭では分かっているのだけれど。親しい人たちの顔を思い浮かべると、やっぱり寂しいものですね。
しか~し!荷造りが~~~~!!
半分くらいは終わっているのですが、残り半分は生活に使っているモノですので、いま、荷造りするわけにもいかず。どうしても直前に慌てることになりそうな予感がジワジワしてきました。この調子だと、「荷造り、手伝うよ」と言ってくれている友達に甘えることになりそうです。
これまでの引越しは母に手伝ってもらっていたのですが、手伝ってもらっておいて何ですが、本音のところではあまり嬉しくなかったのです。
というのも、母のやり方がすべて「とりあえず」で雑なのです。
私は「とりあえず」ではなく、落ち着いてやりたい方なんですね。急いで段ボールを開封せずに、二度手間にならないように、きちんと収納していきたい。なのに、母は引っ越し当日に全部、開封しようとするのです。「いいよ。落ち着いてのんびりやるから」と言っても聞かない。そのくせ、「疲れた」と文句を言い、不機嫌になる。
私は『そうなるから、そこそこでよいと言ったではないか』という、徒労感に襲われるわけです。
今や母は「グルコサミンを飲んでみたい」と、私の顔を見るたびに言うような有様ですから、ふしぶしが痛いのでしょう。そんなカラダに無理をさせるのは忍びない。グルコサミンを買ってあげるから、家でじっとしてて、というのが私の本音なのです。
しかし、先日、「どうして手伝ってって言わないの!」とキレ気味で電話をしてきました。「グルコサミンを買って欲しい」とおねだりしている人の態度とは思えません。おねだりは、普通、もっと謙虚にするものではないでしょうか?
母とのことをブログで書いてみたら、「分かります。うちも似たような感じです」的な賛同メールやコメントをいただき、その反響に驚いているのですが……。
お仲間がいて嬉しいです。