昨日の電車の中での出来事。座っている私の前に、ふたり組の40代女性が立ち、おしゃべりをしていました。話題は子供の学校のことらしく、どうやら”モンスター・ペアレンツ”な保護者がいて、その人が巻き起こした事件のとばっちりを受けている様子。
『噂には聞いてはいたが、モンスター・ペアレンツとやらは大変なのだなあ』
と思っていると、突然、
「栗原さんがかわいそうよね」と、ふたり組マダムの話題の主役が”栗原さん”に。
「ほんと、栗原さん、頑張ってるのにかわいそうよ」
「栗原さんがいちばんの被害者よね」
と、この”栗原さん”は、なにかの被害を受けているらしい。
「でも、栗原さん、偉いわよね」「ほんと、偉いわ」と、気の毒がられつつも、褒められている”栗原さん”。
マダム達の目の前にいる”栗原さん”は、話題の渦中の”栗原さん”の頑張りぶりは知らないけれど、他人事とも思えず、複雑な気持ちで携帯をいじるフリをしながら、耳ダンボ。
「栗原さん、偉いわよね」という話題の主役が自分ではないのは分かっているけれど、「偉いわ」と言われると、ちょっと嬉しい。
栗原姓は、珍しい名字でもないけれど、クラスに2人いる、というほどでもありません。高校生の頃、同じ学年にひとりだけ栗原さんがいて、彼女の家に電話をかけたとき、「栗原と申しますが、栗原さんのお宅ですか?」と言ったところ、いたずら電話だと勘違いされて切られたことがありました。これが、「同じ名字が被るのが日常茶飯事」な、佐藤さんや田中さん、鈴木さんたちだったら、こんな風に怪しまれることもないのでしょうが。なまじ、「いそうであまりいない」レベルの名字ゆえ、当人たちも「被る」ことに不慣れで、混乱を招くのだと思います。
かわいそうな”栗原さん”に心の中でエールを送りつつ。
私自身も、目下、締め切りの真っ最中。この数日、ちょっとかわいそうな状態が続いております。