いきなりですが、右と左がよく分かりません。
こうして文章で書いている分には、いいのですが、口頭で「右」「左」と言われると、とっさに分からない。「右折」「左折」は、耳で聞いて、脳内で漢字変換し、やっと『ああ、右折は右か」と分かる。
左手の甲にほくろがあるので、「ほくろがあるほうが左」と心の中で唱えることもしばしばある。手の甲をじっと見つめて、左右を確認することも多い。
そんなに慎重になっているのに、タクシーに乗っていて、右に曲がってほしい時に、なぜだか、「そこ、左に曲がって下さい」と言ってしまうことがある。
ウインカーの点滅を見て、初めて、左と言ってしまったことに気づいて、「すみません」と訂正。
優しい運転手さんは笑ってくれるけれど、そうでない運転手は「チッ」と舌打ちするのだ。聞えよがしに。
私は舌打ちする人の気持ちも、よく分からない。
だから、舌打ちにめっぽう弱くて、内心、動揺する。
もともと、とっさに怒りを覚えにくい性質なのだ。つまり、鈍感。
けれど、記憶力がよいので、細部に渡って詳細に思いだす。たぶん、とっさに怒らないだけで、なんとなく「おかしいな」という気はしているのだろう。だから、ぐずぐずといつまでも記憶していて、思いだしては、「おかしいな」と思うことを繰り返す。そして、ようやく気付くのだ。
「あんまりではないか!」と。
早ければ3日くらいで気づく。遅い場合は、数ヶ月くらいかかることもある。けれど、私がはっきりと「わたしは、怒っているのだ」と気づくころには、時すでに遅し。今更、そんなことを蒸し返されてもね、という状況になっている。
けれど、まれに私が「おかしいよね」と思い続けてきたことを、何の気なしに人に話して「それは、おかしい」というお墨付きを頂き、「やっぱり、おかしかったのだ」と自信をつけることがある。
仕事がらみのことならば、いろいろと入れ知恵をしてもらい、専門家にも質問しに行ったりして、その「おかしい」を解決することにする。そういうときの行動力はぴか一だと思う。フットワークも軽く、行動する。
で、最近、仕事にからんだ「おかしいよね」が頻発していることに気づいた。
振り返ると、昨年くらいからの出来事に集中している。
不景気だから、なのか。わたしのぼんやりが、度を越しているのか。
その両方かも知れないけれど、とにかく、「これからは、気を引き締めていかなくては」と決意させるほどだ。
だから、これから「おかしいよね」をなくしていくという決意と同時に、この1年くらいの間に集中して起こった「おかしい」出来事を、今、一つ一つ、解決しようと行動しているところなのです。
不景気は私にはどうすることもできない。
もちろん、景気の良しあしに関係なく、誠実な対応をしてくれる仕事先のほうがたくさんある。だけど、だからといって、「おかしいよね」を見逃すわけにはいかない。
自分の身は、自分で守るしかないのだ。
だから、ぼんやりを解決するしかない、と心の底からそう思う。