ちょっと席をはずして戻ってきたら、マドちゃん、こんな風にくつろいでた。
私の仕事用の椅子のクッションを引きずり下ろして、カーボンヒーターの前に置くというカスタマイズを施し、ちゃっかり寝そべってた。
「こんな工夫ができるなんて! とってもお利口さんね~」
クッションを奪われたのに誉めてしまう。おバカなグランマ。
今年の夏に突然、私の生活に現れた4匹の仔猫。その中の1匹と、こうして今、2012年の終わりの日々を一緒に過ごしていることは、なんだか、運命的というか、不思議な感慨があります。
2012年の前半は個人的にあまりパッとしない日々を過ごしていました。それなりに、楽しいこともあったけれど、雲の中を飛ぶ飛行機に乗っているような、そんな毎日でした。
少し、雲が晴れてきて視界が開けてきたな、と感じ始めたのが7月中旬ごろ。そして、マドちゃんたちの「みゃー」という声を聞いて、置き去りにされている仔猫に気付いたのが8月19日。
この日を境に、私の生活と頭の中は仔猫中心の日々になりました。
とにかく、この消えかけている4つの命を助けなくては。
それは、正直なところ、私自身の「ため」でしかありませんでした。冷たくなった仔猫を発見したくない。何もせずに、死なせてしまったら、その事実は確実に私の傷になる。「傷つきたくない」それが本音だったから、今でも、「猫アレルギーなのに、猫を助けるなんて、偉い」と誉められるとちょっと居心地が悪いのです。
だけど、私の思いとは関係なく、仔猫たちは「生きよう」としていました。生きるために私や育猫を手伝ってくれた乳母―ずの面々に懐き、私たちのハートにあたたかい「何か」を与えてくれたなあ、と思います。
中でも、私は、今、マドちゃんと呼んでいるこのコには思い入れがありました。
保護する直前、きょうだいで固まって帰らぬ母猫を待っているとき。マドちゃんは、ほかのきょうだいに前足をかけて、肩を組むような格好をして、私が手を差し伸べると、「シャ―」と小さな牙を向いたのです。こんなに小さいのに、きょうだいを守ろうとしているように見えました。こんなに小さいのに、そのけなげさが切なくて私は、保護することを決めたのでした。
「そんなに頑張らなくても、もう、大丈夫だよ」
あの日、私の口をついて出たこの言葉は、私自身も必要としていた言葉だったのだな、と思うのです。
自営業だからなんとかできた育猫ライフでしたが、それでも、ものすごくハードだった。余計なことを考える余裕もなく、猛暑の中、汗びっしょりで毎日をなんとかやっとこなす日々が約1ヶ月、続きました。仔猫たちは次々と里親さんにもらわれていき、最後の1匹となったのはマドちゃんでした。
この日々が終わった時、私は憑きものが落ちたような、さっぱりした気持になっていました。
もう、無理をしない。もう、我慢をしない。
相手がどう思うか、ではなくて、もっともっと自分がどう感じるか? を大切にして生きて行こう。
そんな風に思えるようになっていたのです。
自分の感情よりも、相手の感情を優先してしまう「クセ」。それが、母娘関係に根っこのある問題なのだということも、仔猫たちとの日々の中ではっきりと自覚したことでした。だから、「母猫に捨てられた仔猫を保護し、育てる経験」が、私に必要だったのだな、と思うのです。
そう気付いてから、今年の秋以降、私はずっと、快晴の空を飛ぶ飛行機に乗っています。
たまには、雲がかすめることもあるけれど、雲の先に晴れ間がひらけていることがちゃんと見える。
そんな風に秋から冬を過ごし、あの夏の暑さがうそみたいに感じるほどに寒くなって。マドちゃんは、また、うちにやってきたのでした。
あたたかい場所をカスタマイズしたり。ネズミのおもちゃで遊んでたかと思いきや、眠くなったらぱたっと寝て、お腹がすいたらご飯を食べて、甘えたいときだけゴロゴロ、スリスリ……。という、猫特有の「気ままっぷり」を見せつけられております。