巷で、断捨離とか片付けがブームになって、幾歳月。
かくいう私も3年近く前に、一度、けっこういろんなものを処分しました。捨てたり、寄付したり、リサイクルしたり。
けれど、それは、まだまだ甘かった! と1ヶ月ほど前にふと思いつきまして。
お片付け熱が再燃。
まずは、思い立ったその日の夜に、洋服やバッグを処分。
ゴミ袋4袋を捨て、ミカン箱サイズのダンボール1箱を、リサイクルショップに寄付。紙袋2つ分のユニクロ製品をユニクロにリサイクル。
リサイクルショップは、収益で動物愛護活動をしているという団体の運営で、私の家に眠っているモノがワンコ、にゃんこのためになるのです!
本は売れるものをダンボール3箱分をブックオフ。売れないもの紙袋6袋を資源ごみ。
それ以降は、目についたものを順次、捨てていくという感じでユルユルとお片付けしております。
まだ、途中ですけれど、ここまで片づけて気付いたのが、
毎日の生活の中で、
「ここ、片付けなくちゃな」
「これ、使わないな」
「この服、着てないな」
などという、思考がどれだけ多かったのか、ということ。
人って、使ってないモノ、片付ける必要のあるモノが視界に入るたびに、ちょこっとだけど気持ちがふさぐんですね。
その瞬間は、ほんのちょこっとであっても、塵も積もればってことで、ふさいだ気持ちもどんどん、積もっていく。そういう「気持ちがふさぐ」ことが減ることで、ふさいだ気持ちも積もらなくなるわけです。
面白いのが、「着ていく服がまだ、決まらない」という現象が起きなくなったこと。
あれ、着ていない服がいっぱいあるから決まらないんですよ。
「いらだたしさに唇噛んで、私ほんのり涙ぐむ」こともなくなりました。
(誰のなんという歌の引用か分かった人~! オジサン&オバサンでーす)
「着ていく服が決まらない」も、もちろん、気持ちのふさぎの一種であって。それがなくなるだけで、こうも快適なのか! 「服がない」ということでブルーになっているわけじゃなくて、「決まらない」からブルーだったのね、と気付いた今日この頃なのでした。