昨夜、素敵なワイン会に着物を着て出席して参りました。
天気予報はあいにくな感じ。でも、「ま、いいか」で着る。
とはいえ、雨コートと傘は持って行くという、若干、小心者。
こうした素敵な会に誘ってくださる女性たちも、このごろ着物を着てこられるので、楽しさ倍増なのですね。
で、私、この「楽しさ倍増」なワイン会の最中に、
自分が今まで、「着物」についてのとらえかたを間違っていたことに気付いたわけです。
「着物って、大変だよね」
だから私は着物を着ることに二の足を踏んでしまう、という文脈で、「大変だよね」と言われる度に、
「慣れれば大丈夫ですよ」
「そんなに大変じゃないですよ」
と、私は言い続けてきた。が、それは大きな間違いでした。
すみません。
慣れれば大変じゃない、というのは、落ち着いて考えてみれば当たり前のことなのです。
どんな出来事だって、「慣れれば大変じゃなくなる」わけで。
「慣れる」に至るまでは、「大変な思い」をしなくてはならないのでございます。
でもって、着物は、「慣れる」までの「大変な思い」の道のりがけっこう長い。
つまり、
「着物って大変よね」
という言葉は、
「着物に慣れるまでが、大変よね」
という意味なのです。
はっきり言って、着物はめんどくさい衣装です。
だから、日本人は明治維新を契機に、どんどん、洋装化に進んでいった。
だって、洋服のほうが着るのが簡単だから。
簡単なほうに流れるのは、人の常。当たり前の出来事なわけです。
すると、着物を売るために、いろんな戦略が練られるようになって、
付け下げ、小紋、訪問着といった柔らかモノと、紬、
帯の染めと織、といったカテゴリーによる、
ドレスコードが強調されるようになって、
ますます、めんどくさい衣装になってしまった。
ここが、第一の挫折ポイント。
第二の挫折ポイントは、着る手順が洋服に比べて格段に複雑、ということ。
平面で裁断され縫われた衣装ゆえ、キレイに着るには、着つける技術が求められます。
ここで、「着付けを習わなくてはいけない」上に、腕を磨くことが必要となってくる。
こんなにめんどくさい衣装を、気軽に着るようになるはずがないのです。
この「めんどくささ」を含めて、
「着物って素敵」
と思えるかどうか、が、ポイントなのですね。
釣りが趣味という人がいたとしましょう。
釣りにまったく興味がない人にとっては、「わざわざ釣りに行かなくても、魚屋さんで買えばいいのに」です。
でも、釣り人は釣りをすることが好きなのです。
ただ、魚を食べるためだけに、「釣りをしている」のではないのです。
魚屋さんやスーパーで新鮮なお魚が買えるようになった今、「釣り」は生きるために必要のない作業です。
着物も同じ。
他に洋服と言う着るものがあるのですから。
釣りと着物が違うのは、「釣りをしている人」に対しては「そうなんだ」で終わる話しが、
着物となると、
「お金がかかることをしている」
「目立とうとしている」
といった、羨望ゆえの感情の対象となりうる、ということです。
こうした負の感情をぶつけられやすい衣装であることが、第三の挫折ポイントになります。
ただ、「今日は着物を着ようかな」くらいの気持ちで着物を着て出かけてみたら、
『アノ人、何よっ』
とジェラシー光線を浴びることも、あります。
めんどくさい衣装の、めんどくささも含めて「好き」で、着ているというだけで
こんなにもたくさんの挫折ポイントがある民族衣装は、
日本の着物くらいなんじゃないか? と思うほどです。
で、そういう前提でマーケティングを考えてみるとですね。
現代の着物の売り方の多くが訴求軸がズレてるな、って思う。
第一、第二、第三の挫折ポイントに加えて、
「お手ごろ価格ではない」
「なくても生きていける」
という特性があるのですよね。
私は、昨日は早々と単衣の着物を着たのですが、
これは、現代においてほとんどの場所が、
洋服の人を考えた温度設定になっている、ということがあります。
すると、どうしても着物の人には暑い温度になります。
ですから、「単衣は6月から」なんて思っていると、大汗かく。
大汗かくとメンテナンスが大変ですからね。
洋服ならばブラウスに1枚はおっていればOKくらいの気温になったら、
単衣でいいなと思うのです。
そんなことを考えさせるなんて、やっぱり着物はめんどくさい衣装ですよね。