ブログ再開宣言から、気がつけば10日以上が過ぎました。
風邪の復活から調子に乗って3日連続で、飲んだりしておりましたら、
再び、悪化した次第です。
いわゆる、風邪をぶりかえす、という症状ですね。
処方されたお薬は、最後まで飲みきることが大切です、を思い知ったのでした。
それはさておき。
ブログ再開をした翌々日。とっても嬉しい出来事がありました。
約1年半ぶりに、ある人から電話をもらったのです。
そして、先日、再会飲みをしてきたのですが、
その人とは2年くらい前に、仕事で苦難を共にした間柄でした。
その人は自身の「転機」を私に知らせてくれるために、電話をくれたのでした。
お互いの「転機」が重なったことが、とても嬉しくて。
そして、その人の「電話をして報告しなくてはと思う人リスト」に、
私を入れてくれていたことを知りました。
私は、自分はたいしたことないし、あちこちで不義理もしてるし、
ダメだな~と思っていたいたけれど、意外と、ちゃんと生きてきたのかも知れない、と
思い直すことができたのでした。
振り返ると、このごろ、このように私に「自信」を持たせてくれる出来事がいくつか起きていました。
仕事で、私の経歴を求められる機会が重なったのですが、それらを褒めてもらえることが続きました。
現実化が得意だった頃の、かつての私なら、すっかり有頂天だったのでしょうが、
経験を重ねてきた私は、
手放しで有頂天になれるだけの無邪気さを失っていたことに気付いたのです。
なぜ、有頂天になれないのか。
それは、ネガティブな思考を持つクセを身につけてしまっていたからです。
「そんなうまい話があるわけない」とか。
「うまくいきっこない」とか。
「私なんかダメにきまってる」とか。
頭の片隅に、ちらりとよぎる、根拠のない決めつけ。
それらが、有頂天レベルを下げるのです。
有頂天になりすぎない私は、傍目には極めて常識的な人物に見えたことでしょう。
けれど、常識的な人と思われることと引き替えに、私は大切なモノをなくしていたのです。
願望を実現する力を。
前回の記事に私がフリーランスのライターになったいきさつを簡単に書きました。
あの頃のエピソードに、現実化が大得意だった頃の私の
「超単純思考」を物語るエピソードがあります。
実父である社長からリストラされた日の帰り道。
『フリーのライターになる、といっても心配だなあ』などとぼんやり、考えながら帰路につきました。
ひとり暮らしをしていたマンションのすぐ近まで来たとき、
地域のお知らせを貼る、町内会の掲示板が目にとまりました。
そこに貼ってあったのは「自衛官募集」のポスター。
すかさず、募集要項に目を走らせ、「28歳まで」の年齢制限を確認した次の瞬間。
『半年、フリーのライターをやってみて、
それで食べていけなかったら、これに応募しよう!』と決定。
なぜなら、当時のわたくしは、26歳と9ヶ月という年齢でしたので、
半年後には、まだ27歳。
年齢制限に「しっかり間に合うじゃん!」という判断をしたのです。
それで、すっかり気分は大船に乗り、
なんの不安も迷いもなく、フリーランスデビューと相成ったのでした。
この話しをすると、ほとんどの人はビックリします。
「応募しても、採用されないかも? とは思わなかったの?」
「採用されたとしても、自分がやっていけるかどうか、不安にならなかったの?」
確かに、ツッコミ処、満載。
けれど、当時の私は
「応募すれば合格して、採用されると思っていたし、採用されたら頑張れると思った」のです。
なぜなら、
「このようなポスターを作って町内の掲示板で募集するくらいだから、人手不足なのだろう」
と思い、自分の採用を確信。
「頑張るか頑張らないかは自分次第だし」
と、思っておりました。
こんな小学生並の単純思考で導き出した結論があったおかげで、
私はグズグズと悩むこともなく、
ネガティブな思考に心を支配されることもなかったのです。
ライターになってからも、
「もし、ライターとしてダメだったら自衛隊に入ろうと思う」と語ったこともありましたが、
たいていの人は、ジョークと受け止めてくれたのでしょう。
シリアスなアドバイスを受けることもありませんでした。
そのおかげで、本気でセーフティネットがある、と信じられたのです。
このシンプルな思考。
これこそが、かつての私が次々と現実化していけていた最重要ポイントだったのです。
なんの迷いもなく、ただ、突っ走る。
その迷いのなさを持てたのは、「当時はインターネットが普及していなかった」ことも
深く関係していると思うのです。
このことについては、また、次回に!
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