こんにちは。栗原貴子です。
今日は、文章のプロとしてちょっと毛色の違う記事を書きますね。
先日、テレビで「夏休み明けの子供の問題」が
取り上げられていました。
夏休み期間中のLINEでの文字でのやりとりをきっかけに、
仲間はずれやイジメに発展するという現実が
紹介されていました。
A子さんが「B子さんと映画を見に行くけれど、
C子さんも一緒にいかない?」と誘います。
C子さんは「行く!」と返事。
そこで、A子さんはC子さんに、
当日の交通手段はどうするのか?を訪ねようと
「何でくるの?」
と送りました。
これをC子さんは「どうして、あんたが来るわけ?」
という意味と受け取り、
そこから関係が破たんするのです。
「そんなことで!?」と驚きつつ、
根底には、本当は希薄な人間関係を、
LINEでの親密なやりとりで、
濃厚であると錯覚しているという事実があること。
そして、
A子さん、C子さんの語彙力の問題が
あるのだろうな、と感じました。
すでに、大人のみなさんはLINEが登場する前に
メール、さらに文書でのコミュニケーションを経験しています。
私が中学生の頃は、
友達同士で手紙をまわしたり、交換日記をしたり、していました。
そういう経験を重ねてきて、今の大人たちはLINEを使っています。
ここでは、「大人」とは便宜上、
成人してから携帯電話によるメールを始めた世代と定義します。
成人してから、携帯メールが普及した世代の大人たちは、
あまりの便利さに驚愕すると同時に、
「どんな風に書けばいいのかわからない」という問題に直面しました。
こんな短い文章でいいたいことを伝えるって難しい! と。
事実、文章は文字数をたくさん費やせるほうが、
書きやすいものです。
「大人」たちは、その年齢までの間につちかった
ビジネス文書やラブレターや、
学校での作文、大学入試の小論文などの
経験を総動員して、携帯メールに向き合いました。
「自分の意思をちゃんとつたえるためには、
どういう風に書けばいいのか」を
これまでに会得した経験を駆使して、
今、LINEを使っているのです。
つまり、
成人以前から携帯電話のメールになじんでいた世代との間では、
文字によるコミュニケーションの経験値が異なります。
この世代間ギャップは、
実生活では、親子だったり教師と生徒といった関係に該当するでしょう。
私たち「大人」にとって「当たり前のこと」が
若い世代の人にとっては「当たり前ではない」のだと思うのです。
このような世代間ギャップがある、ということを
教師や親がちゃんと理解していることが、
LINEでのコミュニケーションから派生するトラブルから
子どもを守るために必要です。
今の子供たちは、
未熟な語彙と文章力で文字のみの
コミュニケーションを図っているのです。
人生経験も少ないので、
相手が送ってきたメッセージを読解する想像力も
十分に培われていません。
前述の例の交通機関を問うための
「何でくるの?」は、言葉足らずであり、間違っています。
そもそも、「来る」ではなく「行く」を用いるのが正解ですし、
主語が抜けています。
正しくは、
「私たちは電車で行くけど、
C子ちゃんは何で行くの?」
と送れば、正しく伝えることができたはずです。
もしくは、
「C子ちゃんは電車? バス?」という
問い方でもよかったでしょう。
一方で、C子ちゃんは「何で来るの?」の一文で
カッチーン!と瞬間沸騰し、
A子ちゃんを阻害する行動に出たわけですが、
この瞬間湯沸かし器も真っ青な反応にも驚きを隠せません。
友達であれば、
A子ちゃんの語彙力や文章力がどの程度のものかとか、
普段から主語がないメッセージが多いタイプだとか、
わかりそうなものです。
誤字かしら? といぶかしむこともできたはず。
想像力の欠如、思い込みの激しさを感じます。
私が中学生のころは電話代を気にする時代でしたが、
LINEには無料通話機能もありますので、
ちょっと話してみればいいじゃない? ということでもあります。
なんだか、いろいろとちぐはぐな印象を受けたのです。
もしかしたら、遊びに行く約束をして次の瞬間に、
突き落とすようなメッセージを送る、ということが
日常的に行われているために、とっさに「そうに違いない」と
思いこんだのかも? とも思いました。
そうだとしたら、
「A子ちゃんがそんなことをするはずがない」という
信頼関係が培われていないことになります。
友達ということになっているけれど、疑心暗鬼。
そういう人間関係が渦巻いているのかもしれません。
教育の現場で、ご家庭で求められることは、
そもそも文字だけのコミュニケーションは難しくもあり、
ちょっとしたことが誤解につながるものだということを教えて、
その上で、誤解されない使い方を考えるように導くことなのだと思います。
そして、一触即発、という人間関係におびえながら
友達と交流しているのかもしれない、そんな可能性をもって
子どもたちを見てあげることが必要なのではないでしょうか。
わたしには子どもがいませんし、
日常的に接することもほとんどありません。
ただ、だからこそ客観的な視点で冷静に
見えることがあるのだと思うのです。
もしも、夏休み中に
LINEで人間関係が怖くなってしまったのなら、
学校に行くのをやめてもいいと思います。
大人になって私は知ったけれど、
年齢に関係なく、
意地の悪い人っているし、その人が意地悪だということを
見て見ぬふりをするコミュニティーはどんなところにも存在します。
そこに居続けながら、うまくやっていく方法を探そうとしても、
心が疲れていくだけ。
学校に行かずに生きるという選択肢を選んだとしても、
それは一時的なもの。
まずは、心が疲れない状態になってから、
これからのことをゆっくり考えればいい。
そんな風に、わたしは思います。