こんにちは。栗原貴子です。
昨日、鞠小路スタイル主催の『本物を見る会』に参加し、
感動と興奮がさめやらぬまま、
レポート第一弾の記事をアップしました。→こちら
そして、一晩、寝て考えました。
わたしは一体、どうしてこんなに感動と興奮を覚えたのだろうか、と。
それには、私自身がこれまで着物を通じて経験してきたことや知識、思いが
あってのことだと気がつきました。
なので、シリーズ「着物とわたし」と題しまして、綴っていきたいと思います。
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<呉服業界の市場規模がどんどん、縮小し続けているという現実>
1882年ごろまでは呉服市場は伸び続けていました。以降、下降を続け、現在は5分の1となり3000億円前後と言われています。
ちなみに平成24年~25年のアパレル業界全体の業界規模が4兆4,487億円、その中でのシェアNo1であるファーストリテイリング(ユニクロ)の売上高が9,286億円でした。ユニクロ1社の売上高の約1/3が呉服業界全体の市場規模なのです。
このようなことになっている理由は、少子高齢化により着物人口も減少していることはもちろん、複数の理由が挙げられます。そんな中でも、夏になると浴衣を着る若者がたくさんいる、ということは救いだと思うのですが……。
浴衣→着物へ、というステップアップを牽引するような、消費者を誘導する動線を確立する、という課題をクリアできていません。
私は、物書きとして「着物を着ることの楽しさ、素晴らしさ」をかつて執筆していた雑誌の『InRed』の連載やトークイベントなどを通じて啓蒙したいと考えました。
が、
力不足でした……。
そうこうしている内に、私自身も「着物」を通じて、心が折れそうな出来事にいくつか遭遇しました。もちろん、私にも問題があり、それについては反省しているのですが、客観的な視点で眺めるといくつかの課題があることも分かりました。大きくは次の3点があると思い至ったのです。
・一部の呉服店の悪しき慣習となっている売り方の問題
・「着物はビジネスチャンスだ」と安易に考えてしまう、着物のことをまったく知らない人たちの存在
・「着物ってルールとか決まり事があって大変そうよね」という誤解
私はひとりの消費者として、着物にどのくらいの費用がかかるのか、ということを肌身で知っています。その金額を「出す」と決める、そこにどれだけ大きなエネルギーが必要なのかも。だから、その気持ちに寄り添うことや、そうした気持ちを引き出すことが、最初に必要なのだと思ってきました。
「着物を着ると、こんなに素敵な毎日を送ることができるよ」
「着物を通じて、こんなに素敵な出会いがあるよ」
「着物を着るようになると、自分に自信が持てるようになるよ」
「着物を着ることができると、モテますよ」
2015年の今、着物を持っていなくても、着ることが出来なくても、生きる上で困ることはありません。生活必需品ではないのです。自分の人生をより素晴らしいものにするために、「着物を着る」時代なのです。
<女性を幸せにする着物という魔法>
生活必需品ではない着物ですが、「女性に魔法をかけてくれる」という魅力があります。その「魔法のチカラ」を実感すると、女性はキラキラと輝き始めるから不思議です。
鞠小路スタイルの着付け教室には、多くの女性達が訪れています。みなさん、着物の魔法によって、キラキラ輝いています。
それは、着物を着ることで、今まで知らなかった自分の魅力を発見することができるからだと思うのです。
<継承の危機にある、伝統の技>
着物に限らず、あらゆる伝統技術・工芸が今、継承の危機にあります。着物を例に取ると、「絹のために、蚕から育てます」、「染料のために、植物から育てます」ということも珍しくないため、膨大な時間をかけて作り出されるものが少なくありません。
そして、それを製品として完成させる手を持つ人もまた、減ってきています。職人さんの多くが引退をされません。つまり、お亡くなりになっているのです。後継者の育成には、長い年月を要します。
戦後70年の節目、と政治関係の報道を見るとしきりに語られています。国際社会の今、諸外国に目を向けることが必要なのでしょうが、日本という国の中で、静かに静かに、こうした危機も進行しているのです。女性がどうこう、としきりに総理大臣がおっしゃっていても、当事者である私たち女性のハートにまったく響かないのは、「女性が輝く」ということの意味を労働力としてしか、ご覧になっていないからだと思います。
話がそれてしまいましたが……。
継承の危機にある伝統の技。それを見て、触れることができたのが、昨日の『本物を見る会』だったのです。
ここに、こうしてカタチとなって存在していること。
今のまま、こうした伝統に目を向けずに時をすごしてしまったら、20年後には美術館収蔵品になるであろう品々です。なぜなら、「二度と、作ることが出来ない」からです。ガラスケース越しに遠巻きにしか見ることが出来なくなる、そんな日もそう遠くないかも知れない……。
けれど、今はまだ、身にまとうことができる。
その事実も、昨日の私の感動と興奮の理由のひとつだったのだと思うのです。