今日の夕方。横浜スカイビルから見えた富士山です。猛烈な春の嵐が吹き荒れたため、上空の空気が澄んでいてクッキリと見えました。
今日は母の60回目の誕生日だったので、そのお祝いの食事会をスカイビルのレストランで行いました。着物で出かけたのですが…。強風のため、電車のダイヤ乱れまくりで、休日というのに、つり革使用権をゲットできないぐらいに車内も混雑していました。混みあう車内で揺れと格闘しながら、踏ん張りつつ、物思いにふけりました。
『以前に比べると、電車内で気遣われることがなくなったなあ』
私が着物を着始めたのは成人してからですが、当時は電車の中で「着物を着ている人には、気を遣わなくては」という思いやりを受けたものです。どんな思いやりか、というと。
「ギュウギュウ押さない」、「うっかり着物に触れないようにする」というような思いやりです。そう、「押して着くずれないように」、「汚れたモノが触れないように」と、気を遣ってくださったのです。つかまれる場所を譲ってもらったこともありました。
しかし。昨今はそんな思いやりを感じることはありません。空いている車中もデンジャラスです。私の隣に座っているお嬢さんが、マスカラを塗り始めたときは仰天しましたし、見知らぬお子様が私の着物の袂を握っていたり(さっきまで、その手にはお菓子を握り締めていた)、お世辞にもキレイとは言いがたいリュックサックを押し付けて、我先に下車しようとする登山帰りのオジサン…。
ちょっぴり寂しくなりました。
私は健康体だし、着物を着ているのは私の都合です。それでも、かつては乗り合わせた人たちから「汚しちゃいけない」という思いやりを感じられました。わずか、十数年でそんな思いやりはすっかり消えてしまったようです。私の背後から下車するときに、「後ろ、通りますね」と声をかけてくれた紳士はどこへ消えてしまったのでしょう?
着物姿の人への気くばりがない、ということは、お年寄りや身体に障害のある人への気遣いも同等に失われているのかも知れません。見ず知らずの他人を思いやるという、文化自体が都会では廃れてしまったのかも知れません。
そういう現実がある以上、着物姿で出かけるときは「自衛策」が必要と思い、今日は祖母の着物をリメイクして作ったロングのコートを着て出かけました。このコート、雨コートとしても着られるように撥水加工をしてあるので、多少の汚れには強いのです。
都内での移動の場合は、電車が混んでいそうな時間帯はタクシーを使うようにしています。
そうはいっても。
思いやり欠如の時代も、悪いことばかりではありません。
思いやり指数が低下している現代社会だからこそ、「ちょっとした思いやりのある行動」をすることで、自分自身を”格上げ”できるからです。とくに、仕事の場では、思いやりが「アノ人は仕事がデキる」という評価につながります。
さて。話は変わりますが、もうすぐ、桃の節供ですね。『InRed』の連載でも書きましたが、3月3日は、季節の節目だけでなく「女としての節目の日」として、自分を見つめなおすきっかけにしたいと思います。
私のお雛様です。ひな人形は「すぐにしまわないと、婚期が遅れる」というジンクス(?)がありますが、最近、何かの記事で、このジンクスが根拠がないということを読みました。片づけを励行するために言い出されたのでは? というものらしいです。夜に口笛を吹くと蛇が来る的なものなのでしょうか?なので、3月いっぱいぐらいは、飾っていてもOKらしいです。
ま、私の場合。婚期がどうのこうの、今更ジタバタしてもしょうがないわけで、3月いっぱい、飾っておこうと思います(笑)。
そうそう。最近、衝撃の事実が発覚したのです! 風水に詳しい人に聞いたのですが、西向きのキッチンは縁遠くなるそうなのですが、我が家のキッチンの窓からほとんど真正面に夕陽が見えるんですよね…。念のため、100円ショップで方位磁石を購入してチェックしましたが、夕陽を真正面に臨めるわけですから、やはりほぼ真西でした…。玄関に花を飾り恋愛運向上を狙っていても、キッチンほぼ真西で帳消しだったのでしょうか…。
対処法はキッチンに黄色のグッズを置くことらしい。トング、ミニまな板など、無意識のうちに黄色を選んでいましたが、まだ、黄色が足りないようです。