昨年末、30日から、風太と一緒に実家に行っておりましたが……。
30、31、元旦と過ごし、3泊4日で実家ライフ挫折。2日昼、風太を残して一人で帰宅しました。
今から、19年ほど前に実家を出て一人暮らしを始めたのですが、横浜に実家があるのにわざわざ家を出たのは、「母親との折り合いが悪かったから」という真実に、この年末年始、今更ながら気付きました。その当時は、「一人暮らしした~い」という憧れやら、「通勤に便利」とか、健在意識レベルでは認識していたのですが、潜在意識では虎視眈々と実家を出る機会を狙っていたのだと。
じつは、昨年末に実家の都合で、「同居しなくちゃいけないかも」という事情が発覚しておりました。が、そんなワタクシに救いの手が差し伸べられ、完全な同居は回避でき、今月末にワタクシ、実家に近い街に引越しをすることになったのですが……。
「救いの手を差し伸べられたのは、神の思し召しだったのでは!?」としか思えないほどに、母との折り合いの悪さを痛感したのでした。
何がそんなに? と思われるかも知れませんが、こまごまと書き連ねるのも新年早々、いかがなものかと思いますので省略します。まあ、ひと言で表現すると、「母親の発言を聞いていると腹が立ってくる」のです。
自分で言うのもなんですが、ワタクシ、めったに怒りません。もちろん、今までも人と対立したことはありますが、瞬間湯沸かし器みたいな怒り方ができなくて、相手が「が~っ」と怒れば怒るほど、『この人はなんで、こんなにエキサイトしているのだろうか? 血圧は大丈夫かしら?』、『どうしてこんな理不尽なことを言うんだろう?』などと気になるため、あまり反論はしない。そして、数日後、「なんか、あれってやっぱりヒドイよな」などと、ものすごい時差で怒ったりするのです。
そんな私ですので、口論になって反射神経的に言い返したりできるのは、年に1回くらい、あるかないかないかです。私が怒った現場をご覧になった方は、非常に珍しいものをお見せしてしまった方々です。
40年近く、そんな風に生きておりましたから、当然、母親も私がめったに怒らないことを知っています。よって、言いたい放題なのですね。ですが、このたびの私の引越しの「原因」や、それによって私が強いられた引っ越し作業という負担に対する、「申し訳ないね」的な気持ちがまったく見られないことが、「怒れない」私を怒らせました。
そして悟った。「実家では暮らせない」ということを。
実家を出てから長い歳月が経っているから、「実家暮らしができない」のではなく、そもそも、無理があったから「実家を出た」ということに、ようやく気付いたわけです!
気付くの、遅すぎ。な、ワタクシではありますが。
今年はこのようなワタクシの「でこぼこ女道」をカテゴリーに加え綴っていきたいと思います。
本年もよろしくお願い申し上げます。
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