あの日、から2年。
天災ほど、理不尽な出来事はない。けれど、それは人にとって理不尽なのであって、大自然の摂理からしたら、極めて合理的な出来事なのかも知れない。
そんな風に思ってみたとしても。
失われたものの大きさ、多さ、今もなお苦境の中を生きている人たちのことを思うとやりきれない。
あの日から2年の今日を迎える、少し前のこと。
私の大切な友人たちが、人間から「理不尽」を突き付けられた。
彼女たちは、この6年間、お店を営んできた。
それは、それは大切に、育ててきたお店。
そんな店の、店舗物件の大家から何の前触れもなく、「出ていけ」と言われたのだ。お世辞にも、立地がよい店ではない。駅からは遠いし、人通りも少ない。この6年間、店が続いてきたのは、友人たちの魅力と努力、それ以外の何物でもないことを、その店の常連さんたちは、みんな知っている。
「彼女たちがいるから、あの店に行く」。
そんな風にお客さんから親しまれてきた店なのに、大家は「私が店をやるから、出て行って」と言ったのだ。
どうやら、類似のお店を自分がやれば、常連さん達をそっくり引き継げるだろう、という目論見があるらしい。(この点に関しては、すべてのお客さんが『絶対に、行かない』ので、大家の目論見は大きく外れるのが目に見えている)
さらに、この店舗は住宅も兼ねており、彼女たちは住まいと仕事の両方を、一度に失うことになる。
天災によって、住まいも仕事も、そして命をも失った人たちと比べるのは失礼だということは、分かっている。
けれど、天の災いであっても、こんなにも理不尽だというのに。人が人に対して、こんな理不尽なことをしていいものだろうか、と怒りを覚えた。
その一報を知った翌日、店に行った。とにかく、彼女たちに会いたかった。店のある街から、私が引っ越してしまったため、この2年間、数回しか訪れていなかった。それでも、時折、お菓子を送ってくれたりして、私のことをいつも気にかけてくれていた。そんな心優しい人たちなのである。だから、どうしても、彼女たちの顔が見たかったのだ。
常連のお客さんたちが、立ち退きのことを聞いて、泣いたこと。
ショックのあまり、椅子から立ち上がれなくなってしまったお年寄りの常連さんがいたことを聞いた。
その店に、お年寄りの常連さんが多いことは、私も知っていた。誰かとおしゃべりしたいとき、ふらっと行けば、お店の人やほかのお客さんたちとのおしゃべりを楽しめる、そんなお店だから。
理不尽大家は、もともと、難アリな人だったのも事実である。
大家は彼女たちの店にしばしば客としてやってきたのだが、時間帯に関係なく、いつも酒臭い。
ちなみに、女性である。
ここまでヒドい人だと知っていたら、店子にならなかっただろうが、それは結果論である。
常連さんたちは、酒臭い大家の来店を知っていた。けれど、彼女たちの店を愛しているので、大家の来店にもめげずに、常連でい続けた。それを、大家は「自分が受け入れられている証」と勘違いしているのだろうと思う。
とんだ、思い違いである。
そんな出来事が起きても、それでも、日々は過ぎていく。
そして、前を向いて生きていかなくてはならないことを、思い出させる。