毎週、顔を出す喫茶店に。
やや認知症の80歳のおじいさんのお客さんがいます。
昨日のことや、さっき話したことはお忘れになるのに。
なぜだか、私のことを覚えてくれて。
顔を合わせる度に「待ち焦がれていましたよ」とおっしゃる。
もはや、待ち伏せ。
「あら、私のことを待ち伏せしてくださったのですか?」と聞くと、
「そりゃもう、ずっとお待ちしていましたよ」と答えてくれます。
そして、顔を合わせる度に、毎回、ご馳走してくれます。
「彼女の分は私が払うからね」と。
ご馳走になっておきながら何ですが、同じ話を何度も聞くのは、正直、しんどい作業です。
なので、わたくし、必殺技を編み出しました。
こっちが先に喋って、話題を振る、という作戦です。
リピートする話題から、おじいさんの記憶の引き出しから頻出する年号をさぐり、
その年号に近そうな話題を振るのです。
イメージするなら、昔の図書館の、索引カードの引き出し、みたいな。
すると、あけていないだけで、あければ話題が出てくる引き出しを掘り当てることができ、
こちらも新ネタが聞けるので、さほど退屈しない、という寸法です。
どう? すごいでしょ?
おじいさんは、基本的に「話を聞いてもらいたい」ので、
内容は何でもいいのですよ。たぶん。
このことに気づいてから、私はおじいさんから、
戦争のことや高度経済成長に湧いた時代のことなど
自分が生まれる前の近代史を聞き出すことにいたしました。
これなら、私も未知の話題が多いので、真剣に傾聴することができます。
「チョコレートは進駐軍からもらって、初めて食べた。こんなにうまいモノがあるのか! アメリカ人はこんなにうまいモノを食べているのか、って思いましたよ」
私は幼少の頃にチョコレートの食べ過ぎで鼻血を出しました(実話)、なんて返しはしてはいけません。
「どんなチョコレートだったんですか? 板チョコ?」
「さあ、どんなチョコレートだったかなあ。覚えてないですねえ。ただ、あのときの味はよく、覚えていますねえ」
「うちの父も、進駐軍にチョコレートをもらったって言ってました」
「そうでしょう。あの頃は、そういう時代でした。初めて覚えた英語がギブ ミー チョコレート、でしたよ」
進駐軍がチョコを配った、という事実は初耳ではありませんが、そのチョコレートを食べた感想はひとり一人、違うのが興味深いです。ちなみに、うちの父は「いまでいう、生チョコだった」といっておりました。
話の流れが止まったときに質問を忘れると、また「いつのの話題」をリピートしそうになるので、
「ところで、その頃は何歳ぐらいだったのですか?」
などと、別の質問を繰り出すことを忘れてはいけません。
次ぎにお会いするときには、前回、お話しした内容は覚えていらっしゃらないので、
聞き手としてはかえって気が楽であったりもするのですね。
昔の銀座がどんな街であったか。
田舎から出てきた青年にとって、銀座に行くと言うことが、どういう意味があったのか。
そんなことを、ポツリポツリとお聞きするのです。
ご家族はきっと大変なのだろうなと思うので、私が少しでもお話しすることで
何かのお役に立てたらいいな、 と願いつつ。
このおじいさんと、お話しして、ご馳走になるようになったのは、
この2~3ヶ月のことなのですが。
素人目にも、少しずつ進行しているな、と感じるのです。
寒くなってきたからでしょうか。
一生懸命、働いてきた方なのに。
どうして、そんな風になってしまうのだろうか、と思うとちょっぴり悲しかったりもします。