こんにちは。栗原貴子です。
先日、銀行の方がうちに来てくれました。
アラサーの美女ふたり。
私の中のオッサン・たかお、大喜び。
美女たちから、「フリーランスのライターになった経緯」を尋ねられ、
私の場合、ものすごく横入りなルートでございますのよ、とお話しいたしました。
そうしたら、
「すごいですね! 導かれたかのような感じですね!」
と美女たちが言いました。
あらためて、そう言われると、確かに、そうよね。
私が「文章を書く仕事がしたい」と意図した途端、
道が開けていったんだった。
基本のき、なのに、昔のことすぎて忘れていましたっ!
流れって、多分、その人ごとに用意されている脚本のようなもので、
「この役をやりたいです」とマッチしたときに、
役を演じることができる、すなわちそれが現実化なのではないか、と思うのです。
そしてね、この脚本のすごいところは、
役をゲットして演じている最中、役者も脚本に意見を申したり、
希望を出したりできる、ってことなのだと思う。
「第8話あたりで、主人公は引っ越しでもして、
ちょっと変化、つけたいんですけど。
プロデューサー、どうですか?」
みたいな。
で、その役者の希望や意見が「いいね~」とプロデユーサー的な存在が
OKを出したら、物語にはそういう変化がつく。
おおむね、そんな仕組みなのではないかと。
でも、役者のリクエストがプロデューサーに通らないときもある。
「いや、引っ越しは第11話にしたいから」とか、
もしくは、
「そもそも、引っ越しは想定していなかったんだよね~。どうしようかな~」
という場合もあるかも知れません。
「想定外なんだよね」
という「意図」の場合、脚本を書き直す必要があるし、
もしかしたら、登場人物の職業の設定を変える必要があるとか、
そういう調整が必要になってくるのだと思う。
つまり、
脚本にある程度、添っていることは
「意図」したことの実現は早いけれど、
そうでないことは、調整が必要だから「意図」の実現に時間がかかる、
という仕組みになっているのではないかな、と
私自身の経験から、思うのです。
だから、
「なかなか叶わない」意図は調整中もしくは、タイミング待ち。
そんな風に思っていると、心穏やかに日々を過ごせるのではないかな?
なんて思った、今日この頃なのでした。