3月3日は桃の節供!ということで、桃の花を飾りました。花瓶は市販の梅酒の瓶を化繊の風呂敷でラッピングしたものです。
友人とのメールのやりとりで。友人から「ありがとう。励まされました」という返事が返ってきました。私はとくに「励まそう」と思って書いた文面ではなかったので、ハッとしたのです。
私自身も人からもらったメールに励まされたり、元気付けられることが多々、あります。でも、意外と、相手は「励まそう」と思って書いてくれたのではなく、そのとき感じたことを素直に書いてくれたのではないか? と思うのです。
「何気ないひと言」が本人が気付かぬうちに、相手を励ましたり、元気付けたりしているということは、とてもステキなことだと思います。よく考えてみれば、「メールを送る」という行為自体が「相手を気にかけています」という行為なのですよね。
その一方で、無意識のうちに相手を傷つける、ということも、自覚しないままやっているのではないか? とも思うのです。文章を生業としている者として、「書き言葉の難しさ」を常に意識していますが、意識することが習慣となると、「書き言葉」はとっても難しく、危険なものだと思い知らされます。
ニュアンスを読み間違えると、とてもキツイ言い方になってしまったり、非難や批判的なムードが色濃くなってしまうこともある。それを緩和するために、絵文字や顔文字を使うわけですが、絵文字や顔文字を付け忘れてしまうと…。グサッときたり、させちゃったり。
さらに、「なかなか返信がこない」ということも、感情を揺さぶられます。「意図的に返信をしてくれないのではないか?」と、勘ぐってしまったり。仕事の場合ならば、返事を催促することもできますが、恋愛や友人関係など個人的な関係においては、「返信をしない」ということが大きな「意味」を持ってしまうのです。
メールの文面や返信のタイミングに一喜一憂する日々。なんと、苦しい日々なのでしょうか!メールなど無かった頃には、考えられません。さらに、電話の発信相手が特定できるようになって、「着信を拒否されているのではないか」という悩みも増えました。ツラい時代です。
メールの文面や返信のタイミングについては、「相手のメール癖を知る」までは、ドキドキしっぱなしです。何度かやりとりをして、相手のメールの文面、送受信スパン、生活習慣などを知り尽くせば、「この人はレスが遅いが、大変、多忙な人なのだ」とか、「文面がそっけないが、他意はないのだ」と分かるようになります。
なにはともあれ。私たちの暮らしはもはや、「メールなしでは成り立たなく」なっている上に、無意識のうちにかなり、メールに心を揺さぶられているのですね。
くっ、くだらない! と、オバちゃんの貴子は思います。でも、乙女の貴子はしっかり、揺さぶられている。つねにオバちゃんと乙女の葛藤です。
オバちゃん貴子「返事がないのは、忙しいからだって」
乙女貴子 「違うよ。もう、嫌われちゃったんだよ」
オバちゃん貴子「そんなに言うなら、電話してみればいいじゃないの?」
乙女貴子 「着信、拒否られたら? 立ち直れないもん」
ああ、馬鹿馬鹿しい…。
メールもなくて、着信相手が誰だか分からなかった時代ならば、こんな悩みは必要ありませんでした。ワタクシの年齢でさえ、こんな葛藤を繰り広げるわけです。しかも、この葛藤は恋愛に限ったことではありません。ビジネスでも友達関係でも、クヨクヨしちゃうことがある。
罪深いよ、メールとナンバーディスプレイは。
そんな私を愛犬・風太は「どうしたの?」と見つめます。この顔を見ると、いろんなことがどうでも良くなってきて、「ま、いいか」と思えてくるから不思議です。
「人間って、携帯電話、持ってて幸せなの?」