こんばんは。栗原貴子です。
この頃、よく耳にする「自分を愛する」「自己愛」というフレーズ。
「ものすごいナルシストみたい!」と抵抗感を覚える人もいるかも知れませんが……。
私って、素敵。
私ってサイコー。
そう思えない人のことを、
わざわざ赤の他人が「素敵です」とは思ってくれませんわよね。
でも、案外、多いのです。
自分を愛せないという人が。
どうして、
自分を愛せない人が増えちゃうのか、と考えると……。
日本ならではの「謙遜の美学」を上げる人が多い。
私は個人的には「謙遜の美学」は美しいものだと思います。
問題は、「謙遜の美学」の解釈を間違えている人が多い、ということ。
謙遜の美学って、そもそもは、
それなりに自分に自信を持っていることが大前提だと思うのですね。
その上で、
天狗になったり、自己研鑚を怠らないようにするために
「まだまだです」って言うものだと思う。
アニメ『ルパン三世』における、石川五右衛門みたいな感じで用いるもの、
それが謙遜なのではないでしょうか。
けれど、いつのまにか
自分を卑下することが謙遜と混同されるようになってしまって、
結果、自信の持てない人が世の中に増えちゃったのではないかな、という気がするのです。
謙遜と勘違いして自分を卑下することを繰り返していると、
どういうわけか、どんどん自分を愛せなくなってくるのですよね。
「私なんて、たいしたことない」
「しがない○○です」
そんなこと、わざわざ自分で言う必要ないし、
他人が褒めてくれているときに、
「いえいえ」
「とんでもございません」
「そうでもないよ」
などと、わざわざ否定する必要、ないと思いませんか?
「かわいいね」と言ってもらって、「いえいえ、そうでもありません」なんて
会話としてもおかしいし、
褒めてくれた人も、内心『ちっ』って思ってるわよ、絶対。
「嬉しいです。ありがとうございます」って返したほうが
お互い、気持ちいい会話ができる。
つまり、
褒められて「嬉しいです。ありがとうございます」と言うのは、
ナルシストでもなんでもなくて、
心地良い会話をする、という相手に対する思いやりでもあるわけなのですね。
要するに、褒め言葉をかけてもらっているのに、
大急ぎで否定するという、思いやりに欠けることをしているわけ。
なんでそういうことになっちゃうかというと……。
自分を愛せていないときって、
自分のことで頭がいっぱいになりやすい、という傾向もあるからだと思うのです。
謙遜という言葉でカモフラージュして、
自分のことで頭がいっぱいだからゆえに、
相手に対して思いやりに欠けることをしている。
それが、
積もり積もって、自分を愛せない私、を作っているのではないかと思うのです。